『終末のワルキューレ』モリガンが見定める運命の必然と、揺らぐ神の権威

終末のワルキューレ・モリガン 連載中
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この記事は『終末のワルキューレ』の最新話までの展開や、各キャラクターの核心に触れる内容を含んでいます。作品を未読の方や、ご自身のペースで物語を楽しみたい方はご注意ください。

ラグナロクをめぐる一連の物語の中で、ケルト神話の戦女神モリガンは、登場シーンこそ多くないものの、きわめて重たい「意味」を背負った存在として配置されています。
スピンオフ『終末のワルキューレ禁伝 神々の黙示録』では、哪吒と拳を交える『女神最強クラス』の前線ファイターとして描かれる一方で、その出自は「戦と死、そして主権」に結びついたケルトの女神です。
目の前の勝敗だけでなく、神々の傲慢がどこへ収束していくのか。
世界の主権が最終的に誰の手に帰属するのか。
その流れを誰より冷静に見極めている存在として読むとき、モリガンの沈黙や立ち位置が、単なるバトル漫画を超えた「権威の移行」を描く叙事詩としての側面を浮かび上がらせてくれます。

この記事のポイント
  • スピンオフ『神々の黙示録』で見せる「女神最強」の実力と立ち位置
  • ケルト神話における「戦と死」だけではない「主権」の概念
  • 殴り合いの裏で見定める「神々の秩序」の崩壊と再編
  • オーディンの野望すら「次期主権者のテスト」とみなす冷徹な視点
  • ラグナロクの勝敗を超えた先にある「新たな神話」の幕開け
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ケルト神話の戦女神がラグナロクで運命の管理者として描かれる意図

終末のワルキューレ・戦女神

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作中のモリガンは、ゼウス主催の「神代表選抜戦」という武闘トーナメントに、堂々とエントリーする一柱です。
哪吒を前に一歩も引かない態度や、他の神々から「女神最強」と評される存在感からも、その立場はあくまで『殴り合う側』にあります。
ただ同時に、彼女がケルト神話において「戦と死と王権」に深く関わる女神であることを踏まえると、終末戦争のリングに立つ彼女を「運命の管理者」あるいは「レギュレーター」として読むこともできます。

ラグナロクは、神々が人類を滅ぼすために開いた虐殺ショーであると同時に、神々自身の序列や主権をも再編成してしまう危うい儀式です。
そんな場に主権と戦の女神モリガンを投入すること自体が、「この戦いは単なるカオスな殺し合いではなく、ある種の厳格な法則と審級に支配されている」というメッセージになっているように感じられます。
表面上は好戦的で血の気の多いキャラクターでありながら、その立ち位置には、世界のルールを書き換える権限を持つ〈審判者〉の影が色濃く差しているのです。

伝承における三相一体の属性と作中の役割に見られる決定的な差異

ケルト神話におけるモリガンは、Badb(バイブ)、Macha(マハ)、Nemain(ネヴァン)などとともに「戦と死、そして主権」に結びついた女神群の一角を成します。
資料によって整理は揺れますが、ときに三人まとめて「モリガン」と総称されることもあり、戦場にカラスの姿で現れては死を予告し、英雄クー・フーリンの運命に深く関わる存在として語られてきました。
血煙立ちこめる戦場に舞い降り、狂気と死を撒き散らす――そんなイメージが、神話的なモリガンのパブリックイメージだと言えるでしょう。

一方、『終末のワルキューレ』の世界に招かれたモリガンは、その荒々しく混沌とした側面を残しつつも、明確な人格を持つ一人の戦士として描かれています。
『神々の黙示録』では筋骨隆々の肉体で哪吒を挑発し、拳でねじ伏せようとする姿が強調されますが、そこで彼女が担っているのは単なる暴力の象徴ではありません。
神話で「戦の趨勢や王権の正統性を左右する女神」として語られてきた背景が、物語世界では「どの神が最強か」「誰が新たなルールを書き換える資格を持つのか」を決める舞台に接続されています。
個々の英雄の死を予告する存在から、「神々の秩序そのものの終焉と更新」に立ち会う存在へと、スケールを引き上げられている点に、このキャラクター改変の妙があります。

比較要素 神話のモリガン 作中のモリガン
主な顕現 カラス、老婆、美女など変幻自在な予言者 明確な肉体を持つ武闘派(対 哪吒戦)
役割の焦点 英雄の死の予言、戦場の混乱 神々の秩序の終焉と更新、主権の選定
権能 呪術的・霊的な干渉 物理的な戦闘力と、メタレベルの審判眼

戦場の暴力性と並行して立ち上がるメタレベルの視点

モリガンが拳を交えているのは、目の前の対戦相手に過ぎません。
しかし、彼女の神話的な役割を踏まえると、その視線は常に一段上――神々が長らく維持してきた支配構造の行き着く先に向いているように読めます。
神々が人類を見下し、「進歩がない」と見限って開いたはずのラグナロクは、逆に神々の慢心と内部矛盾を暴き出す場へと変質しつつあります。
釈迦の離反やギリシャ勢の相次ぐ敗北は、神々の威信を確実に削っています。

その崩壊のプロセスを、モリガンは単なる神々の失策としてではなく、「傲慢さに対する歴史的な揺り戻し」として眺めているように想像できます。
戦と死を司る女神にとって、秩序の崩壊は必ずしも悪ではありません。
むしろ、腐敗した権威を一度解体し、誰が新たな主権を握るにふさわしいのかを選別する儀式として、ラグナロクを受け止めている、と考えると腑に落ちるのです。
モリガンの戦いは、リング上の一騎打ちでありながら、その背後で進む「世界の再編」をかけた主権争いとも二重写しになっています。

最高神オーディンの暗躍に対する静観と、歴史の証人としての沈黙

終末のワルキューレ・最高神オーディンの暗躍

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本編側では、北欧最高神オーディンが水面下で何らかの計画を進めていることが、徐々に示唆されてきました。
原初の存在とも噂されるユグドラシルの名をちらつかせながら、神々の誰にも全容を明かさないその動きは、ラグナロクをさらに危うい方向へと押し出しています。
ただ、現時点でモリガンがこの計画に直接関与したり、明確な賛否を示したりするシーンは描かれていません。

だからこそ、彼女の沈黙は想像力をかき立てます。
ケルト神話におけるモリガンが「王権の正統性」にも関わる女神であることを踏まえると、オーディンの企みもまた、彼女の眼から見れば「新たな主権の候補のひとつ」に過ぎないのかもしれません。
共犯として肩を並べるのではなく、世界が破滅へ傾くその瞬間までを、冷徹に見届ける歴史の証人。
オーディンの暴走を止めることよりも、「その試みが主権者としてふさわしい力を備えているかどうか」を測ろうとしている、と読むこともできるはずです。

神々の傲慢さが招く破滅を、歴史の転換点として受け止める視線

神々は700万年もの間、あらゆる文明を見下ろしてきました。
その末に下した結論が、人類の「廃棄」です。しかし、第6回戦で神側を裏切った釈迦や、次々と敗れ去っていくギリシャ勢の姿は、「絶対者」として振る舞ってきた神々の足元が、想像以上に脆いことを露呈させました。
彼らは自らの力を過信し、運命を管理できると驕った結果として、足場を掘り崩しているにすぎません。

モリガンは、この連鎖を悲劇として嘆くタイプの神ではないでしょう。
むしろ、長く停滞した世界に対する不可避の是正として、ある程度は冷静に受け止めている可能性が高いと感じます。
戦の女神にとって、永遠に続く支配ほど退屈なものはありません。腐敗した王権が自壊し、新たな主権が芽生える瞬間こそが、彼女の本領が発揮される場です。
オーディンの野望さえも、既存の秩序を破壊するための起爆剤として静かに評価している。
そんな読み方をすると、彼女の沈黙が一気に不気味な重量を帯びてくるはずです。

  • 釈迦の離反(第6回戦):絶対的な「神の側」という概念の崩壊
  • ギリシャ勢の敗北:ポセイドン、ヘラクレス、ハデス、アポロンらが示した「個」の脆さ
  • オーディンの暗躍:既存の体制を内部から食い破ろうとする「原初神復活」の動き
  • モリガンの視点:これらを悲劇ではなく、腐敗した権威に対する「必然の揺り戻し」と認識

既存の秩序が崩壊した先に現れる真の主権者を冷静に見極める

オーディンが画策する原初的な力の復活は、成功すれば現在の神々の権威を一気に塗り替える力を持ちますが、同時に制御不能な破滅をもたらす諸刃の剣でもあります。
モリガンにとって重要なのは、「どの種族が支配するか」ではなく、「主権を担うのに足る意志と力を備えているか」という一点でしょう。
神話の中で、彼女が王の正統性や戦の勝敗に関わってきた歴史を考えると、その審級は極めてシビアなものとして想像できます。

もしオーディンが真の意味で世界を握る力を示せば、それを認める余地は残るでしょう。
逆に、人類やブリュンヒルデ側が神々を凌駕する「理」を提示したならば、モリガンがそちらへ傾く可能性も否定はできません。
彼女にとって、神という種族の存続は必須条件ではなく、「世界を保たせる意思と力」を持つ主体こそが最重要です。
その意味で、モリガンは神側に属しながらも、最も中立に近い位置から世界を査定する恐るべき判定者だと言えるでしょう。
混沌とした現状は、偽物の権威をふるい落とし、真の主権者だけを浮かび上がらせる濾過装置として機能しており、その働きを誰より理解しているのがモリガンなのかもしれません。

監視者の瞳が映し出すラグナロクの終着点と、新たな時代の幕開け

終末のワルキューレ・ラグナロクの終着点

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モリガンというキャラクターの背後にあるケルト神話的な文脈を踏まえていくと、『終末のワルキューレ』の終着点は単なる「人類の生存」か「神々の勝利」で片付くものではなさそうだと予感されます。
神と人類の全面戦争という図式は、より大きな視点から見れば、次の時代へ進むための壮大な「主権の選別儀式」にすぎないのかもしれません。
戦場の喧騒の背後で、戦と主権の女神が静かに状況を見定めている、という構図自体が、勝敗を超えた新秩序の構築が待っていることを示唆しているように思えます。

やがて、生き残った神々と人類、そしてジークフリートやノストラダムスのような『ジョーカー』たちが入り乱れ、「神対人類」という単純な対立構造そのものが解体される局面が訪れるかもしれません。
そのとき、モリガンのような存在が初めて重い口を開き、「新しい世界のルール」あるいは「主権の所在」を宣言する――そんな結末も十分に想像の射程に入ってきます。
モリガンの沈黙が破られる瞬間こそが、ラグナロクの真の終幕、すなわち旧来の神話が終わり、新しい神話世界が立ち上がる瞬間なのだとすれば、私たちは今、彼女の視線を通してその転換点を見届けようとしているのかもしれません。

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