『ベルセルク』という物語において、最も残酷で、かつ最も重要な転換点となったのが「蝕」です。
あの日、グリフィスが放った「捧げる」という一言は、彼自身の人間性を完全に断ち切り、彼を慕っていた鷹の団の仲間たちを地獄へと突き落としました。
彼がその代償として手に入れたのは、ゴッド・ハンド「フェムト」としての超越的な力と、夢見ていた自分の国を手に入れる資格です。
しかしその栄光の裏には、最も大切だった絆を自ら踏みにじったという、決して消えることのない虚無が横たわっています。
本記事では、グリフィスがいかにしてその究極の決断に至ったのか、その心理と因果律の闇を紐解いていきます。
- 完璧な夢がガッツの離反で崩れ去る過程を分析
- 廃人の絶望が引き金を引いた「蝕」の真の意味
- 「捧げる」決断に見るグリフィスの歪んだ自己愛
- 仲間を糧にして生まれた魔王フェムトの深い孤独
- 泥に塗れて抗うガッツと虚飾の神の残酷な対比
夢を追う男が対等な友を失い自己崩壊していった心の亀裂
グリフィスという男を動かしていたのは、常に「自分の国を手に入れる」という強烈な夢でした。
貧しい平民の出身でありながら、彼は類まれなカリスマ性と冷徹な計算で鷹の団を率い、ミッドランド王国の正規軍にまで上り詰めます。
彼の行動はすべて夢の実現という一点に集約されており、そのための汚れ仕事さえ厭わない強さを持っていました。
しかし、そんな彼の完璧な精神構造には、本人さえ気づいていない脆さがあったのです。
その脆さが露呈したのは、唯一無二の存在であるガッツとの別れでした。
グリフィスはかつて「対等な友とは、自分の夢を持ち、他者に従属しない者だ」と語りましたが、皮肉にもその言葉に触発されたガッツが旅立ちを決意したとき、彼はそれを受け入れることができませんでした。
彼にとってガッツの喪失は、単なる部下の離脱ではなく、自分の夢を支える精神的な柱が折れることに等しかったのです。
ガッツを力ずくで引き留めようとして敗北した瞬間、グリフィスの自尊心は粉々に砕け散りました。
喪失感を埋めるかのようにシャルロット姫との衝動的な関係に走ったのは、崩れ去る自己を繋ぎ止めるための自傷的な行為だったのかもしれません。
結果として彼は反逆罪で捕らえられ、栄光の道から転落します。
この一度の敗北が、彼の心に修復不可能な亀裂を生み出し、後の悲劇への導火線となったのです。
再生不能な肉体と絶望の果てに因果律が導いた覇王の卵

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再生の塔での一年間に及ぶ凄惨な拷問は、グリフィスから美貌も、剣を振るう力も、言葉を発する機能さえも奪い去りました。
ガッツたちによって救出されたとき、彼はもはや廃人同然の状態で、かつてのような指揮官としての再起は絶望的でした。
夢を追うための手足をすべて切断され、ただ生かされているだけの肉塊となった彼にとって、生きること自体が屈辱だったはずです。
そんな絶望の淵に立たされたとき、運命の歯車が大きく動き出します。
彼が一度は紛失したはずの真紅のベヘリット、「覇王の卵」が再び手元に戻ってきたのです。これは偶然ではなく、世界の理を操る「因果律」によって定められた必然でした。
逃れられない運命の流れは、彼が最も弱く、最も救いを求めている瞬間を見計らって、異次元への扉を開かせたのです。
異界の空間で彼を迎えたゴッド・ハンドたちは、残酷な真実を突きつけました。
これまでの栄光も、積み重ねてきた死体の山も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと。
現在の無力な自分を受け入れて夢を諦めるか、それとも残された最後の人間性を代価にして夢を掴むか。
極限状態で突きつけられたこの二者択一こそが、彼を人間ならざる者へと変えるための最後の儀式だったのです。
- 肉体の喪失:手足の腱を切断され、舌を抜かれ、自立はおろか言葉さえ奪われる
- 夢の断絶:再起不能な体では、自身の国を持つという野望が永遠に閉ざされる
- 自尊心の崩壊:かつての部下や姫に憐れまれ、介護されるだけの存在への転落
- 最後の引き金:覇王の卵(ベヘリット)が絶望の淵で再び彼の手元に戻る
守るべき鷹の団を糧として闇の翼を得るフェムトの誕生

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ゴッド・ハンド、特にヴォイドによって提示された選択は、あまりにも非情なものでした。
夢の続きを見るための条件、それは「降魔の儀」において、自分の最も大切なものを生贄として捧げること。
グリフィスにとってのそれは、苦楽を共にし、自分のために戦ってくれた鷹の団の仲間たちでした。「捧げる」。
その一言を発した瞬間、彼は仲間への情愛よりも、自分自身の夢、すなわち自己愛を選び取ったのです。
この決断は、彼が積み上げてきた過去を無駄にしないための、歪んだ論理的帰結でした。
ここで夢を捨てれば、彼のために死んでいった者たちの死が無意味になってしまう。だからこそ、新たな犠牲を払ってでも前に進まなければならない。
そう自分に言い聞かせることで、彼は最後の人間性を切り捨てました。
その結果、彼は5人目のゴッド・ハンド「フェムト」へと転生し、漆黒の翼を持つ魔王として新生したのです。
無垢な信頼を寄せる仲間が魔物の宴で食い散らかされる地獄絵図
グリフィスの「捧げる」という言葉を合図に、異次元空間は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと変貌しました。
彼を信じ、救出のために命を懸けた鷹の団の仲間たちに、生贄の烙印が刻まれます。
それは、彼らがもはや人間ではなく、集結した使徒たちの「餌」と化したことを意味する死の宣告でした。
次々と異形の怪物たちに貪り食われていく仲間たち。
彼らの絶望的な叫びは、グリフィスへの信頼が裏切られた瞬間の悲鳴でもありました。
かつて背中を預け合った戦友たちが無残に引き裂かれていく光景は、グリフィスが支払った代償の重さをまざまざと見せつけます。
この一方的な虐殺によって、鷹の団という輝かしい絆の物語は、鮮血の中で幕を閉じたのです。
黒い剣士の魂を砕くために行われたキャスカへの無慈悲な刻印
フェムトとなったグリフィスが最初に行ったのは、ガッツの目の前でキャスカを陵辱することでした。
これは単なる肉体的な暴力ではなく、ガッツの精神を徹底的に破壊するための冷酷な儀式です。
かつて自分を打ち負かし、対等であろうとした男に対し、圧倒的な力の差と絶望を見せつける行為でした。
この残虐な行為により、キャスカの精神は耐えきれずに崩壊し、幼児退行してしまいます。
ガッツ自身も、キャスカを助けようとして左腕を自ら切り落とし、右目を失いました。
愛する女性と五体満足な体を同時に奪われたガッツの心には、グリフィスへの激しい憎悪と復讐心が焼き付けられます。
この瞬間、二人の道は決定的に分かたれ、終わりのない戦いの因果が結ばれたのです。
理想郷ファルコニアの輝きが隠蔽するおぞましい犠牲の記憶

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「蝕」を経て現世に受肉したグリフィスは、圧倒的な力でクシャーン帝国を退け、自身の夢であった国「ファルコニア」を建国します。
そこは幻造世界(ファンタジア)となった危険な世界において、人々が安心して暮らせる唯一の楽園です。
美しく整備された街並みと、救世主として崇められる白い鷹の姿。それはまさに、彼が幼い頃から渇望していた光景そのものでした。
しかし、その輝かしい都の礎には、蝕で無残に殺された鷹の団の死体が埋まっています。
民衆は彼を光の鷹と称えますが、その実態は人間の絶望を糧とする魔王です。
グリフィスの統治する平和は、異形の使徒たちを従える恐怖と力の均衡の上に成り立っています。
表向きの美しさとは裏腹に、ファルコニアは巨大な墓標の上に築かれた、虚飾の理想郷といえるのです。
かつての友が背負う烙印と白い鷹が手にした万能感の対比
グリフィスが光の中で万能感を謳歌する一方、生き残ったガッツは闇の中で苦闘を続けています。
首筋に刻まれた「生贄の烙印」は、夜ごとに悪霊を呼び寄せ、彼に安息の時を与えません。
ガッツの旅は、泥と血にまみれながら、理不尽な運命に抗い続ける過酷なものです。
この二人の対比はあまりにも鮮烈です。
仲間を犠牲にして神の座を得た男と、仲間を奪われながらも人間として足掻き続ける男。
グリフィスの白く輝く鎧には一点の曇りもありませんが、その内面は空虚です。
対してガッツの黒い剣士としての姿はボロボロですが、その胸には失った仲間への想いと、今度こそ守り抜くという熱い意志が宿っています。
ガッツの首筋に刻まれた「生贄の烙印」。それは単なる呪いではなく、彼が背負う運命の象徴でもあります。この刻印が持つ意味と、グリフィスの夢との残酷な関係性について、さらに深く知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
トラウマ級の悲劇「蝕」を目撃した読者たちが抱く畏怖と賞賛
「蝕」を読んだ時の衝撃は一生忘れられない
初めて読んだ時は数日間ご飯が喉を通らなかった。あんなに輝いていた鷹の団が、一瞬で地獄絵図に変わる絶望感。グリフィスの「捧げる」という一言は許せないけれど、彼が追い詰められた過程を見ると、人間誰しもが持つ弱さの究極形だとも感じてしまう。
トラウマだけど、ここからが本当のベルセルク
理不尽な暴力と裏切りに、読んでいて吐き気がした。特にキャスカへの仕打ちは残酷すぎる。でも、そこから立ち上がって泥臭く生きるガッツの姿があるからこそ、この漫画は名作なんだと思う。
復讐の炎を宿すガッツが神となったかつての友に見出す人の弱さ

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物語が進むにつれ、ガッツのグリフィスに対する感情も変化を見せ始めます。
当初は純粋な殺意と憎悪に支配されていましたが、新たな仲間を得て、キャスカを守る旅を続ける中で、彼はグリフィスの本質に気づき始めます。
グリフィスは強かったから人間を捨てたのではなく、夢を諦めることができないほど弱かったからこそ、あの選択をしたのだと。
神としての力を振るうグリフィスですが、それは「何かを犠牲にしなければ夢を叶えられない」という自身の限界を認めた結果でもあります。
対してガッツは、傷つきながらも自らの力で運命を切り開き、新しい仲間たちと対等な絆を築き直しています。
人間としての弱さを抱えながらも、それを乗り越えようとするガッツの姿こそが、逆説的にグリフィスの抱える孤独と虚無を浮き彫りにしているのです。
二人の再会がどのような結末を迎えるのか、因果律の行方はまだ誰にも分かりません。
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