コスプレに打ち込む喜多川海夢と、それを支える五条新菜。『その着せ替え人形は恋をする』の冬コミ編では、ふたりの関係性にこれまでとは異なる緊張が走ります。創ること、演じること。それぞれの“好き”がぶつかり合うとき、想いのズレが思わぬ痛みを生むこともある。いつも一緒だったふたりの心に、どんなすき間が生まれてしまったのでしょうか?
- ハニエルがもたらした奇跡と心の断絶
- 新菜の嫉妬に映る創作者の宿命
- 演技と美が引き起こすすれ違い
- コスプレを超えた“天命”の物語
- 二人の関係を揺らす愛と孤独の交錯
完成された演技が引き起こした心の断絶
『その着せ替え人形は恋をする』の五条新菜と喜多川海夢が「ハニエル」コスプレに挑んだ冬コミの当日は、二人の関係にとって大きな転機となった。演技としては最高の完成度を誇りながら、その瞬間に二人の心は静かにすれ違い始める。鍵を握るのは、海夢の演じたハニエルが持つ“感情を超越した美”と、その完成形を目の当たりにした新菜の内面の揺らぎである。
海夢は新菜の細やかな指示をすべて受け止め、ハニエルが持つ「無感情に微笑む神聖な美しさ」を完璧に体現した。作中では「憑依したようだった」と表現されるほどの演技で、彼女は自我を抑え、新菜の創造した像を忠実に再現する器となる。この姿に、漫画家・溝上が「こんな顔ができちゃうなんて可哀想に」と呟いた場面は象徴的だ。そこには、若い少女があまりにも深い悲しみを演じきれてしまうことへの同情と、演技が現実の痛みと結びついているという直感的な警鐘が含まれていた。
しかし、もっとも衝撃を受けたのは他ならぬ新菜自身だった。彼はその瞬間、海夢を「作り上げた完璧な作品」として見てしまった。舞台の中心で観客の視線を一身に集める海夢の姿は、新菜にとってまるで“自分の手から離れていく存在”のように映った。まさに劇中作『天命』におけるハニエルの悲劇──誰からも愛されながら、ただ一人を見つめ続けた報われない存在──が、現実と重なり合う。
この瞬間、ふたりの感情は奇しくも「愛の非対称性」によって引き裂かれる。海夢は新菜に全幅の信頼と愛情を注ぎ、彼の言葉だけを頼りに舞台へと立った。一方で新菜は、その愛を目の当たりにしながらも、海夢が遠い存在になったように感じるという矛盾に飲み込まれてしまう。ハニエルという役がもたらした奇跡は、同時に彼らの心に最初の断絶を刻み込んだのだった。
ハニエルという役に宿った一瞬の奇跡
ハニエルというキャラクターを体現した海夢の演技は、ただのコスプレを超えた“憑依”の瞬間だった。新菜の細かな演技指導に応える形で、彼女は笑顔の角度、視線の動き、感情の抑制まで完璧に再現し、観客を圧倒する存在感を放った。舞台での彼女は、もはや海夢ではなく、物語から抜け出してきた本物のハニエルそのものだった。
この場面における最大の奇跡は、海夢がその一瞬だけ、完全に自分を消し去ったことにある。明るく快活な彼女が、自身の個性を封じ、「無感情に微笑む美の化身」として存在したことで、観る者に深い印象を与えた。その姿に対し、漫画家の溝上が「こんな顔ができちゃうなんて可哀想に」と呟いたのも無理はない。彼女の演技は、役の悲劇と、演じた本人の感情が交錯する極めて危うい境界線に立っていた。
完成された演技は、コスプレという趣味の枠を越え、創作の力が人の心にどれほど深く入り込むかを証明していた。演者とキャラクター、現実と虚構、その境界が曖昧になる瞬間──それこそが、このシーンに宿った“奇跡”だった。
美しさが届かない存在へと変えた
海夢の演技を目の当たりにした新菜の胸に去来したのは、称賛でも感動でもなく、強烈な「嫉妬」だった。観客が賞賛し、カメラを向け、SNSで絶賛するその存在が、まるで“自分の手から離れていくような錯覚”を彼に与えたのである。この嫉妬こそが、新菜がただの衣装職人ではなく、創作者としての「業(ごう)」を抱えていることを端的に示していた。
もともと新菜は、雛人形作りの世界で「美を再現すること」に情熱を注いできた職人だった。その延長線上で海夢の衣装を作り、「彼女を美しく見せたい」という動機が支えになっていた。だが、ハニエルの演技を経て、その動機は無意識のうちに「自分が創り出した存在が、他者に評価されること」への執着へと変貌する。新菜が感じた痛みの正体は、創作が社会に出て評価されることで、創り手から独立してしまう“創作物の自立”に対する葛藤だった。
この心理は多くの表現者が抱える根源的な矛盾でもある。創り手は誰よりも作品を愛しながらも、作品が自分の手を離れ、多くの他者に共有されていくことに対して、どこかで「奪われた」ような感覚を抱く。新菜もまた、ハニエルというキャラクターが海夢を通して“世界に共有された瞬間”に、その業から逃れられなくなったのだ。
新菜の嫉妬は、彼がただ衣装を作るだけで満足できない“創作者の苦しみ”を自覚した第一歩だった。そしてこの苦しみは、海夢との関係に影を落とし始める──「好きだから美しくしたい」ではなく、「自分の手元に置いておきたい」という独占欲へと形を変えていく。
新菜の嫉妬が示す「創作者の業」

マンガなびイメージ
ハニエルを演じる海夢の姿を見たとき、新菜の中に芽生えたのは、抑えがたい嫉妬だった。それは彼女を愛しているがゆえの感情であると同時に、創作物を他人に奪われたような喪失感でもあった。彼にとって海夢は、自分の創造の一部であり、自らが仕立てた衣装を纏う“作品”だった。しかしその作品が、自分の手を離れ、観客の喝采とカメラのフラッシュを浴びる様を目の当たりにして、創作者としての「業」が目を覚ました。
もともと新菜の創作は、雛人形作りに端を発していた。そこでは、「誰かのために美を作る」という構図が確立されており、自分が前に出ることはない。しかし海夢との関係性は異なる。彼女はただの“依頼主”ではなく、共に作品を生み出す相棒であり、その姿を通して評価されることで、新菜自身もまた創作の表舞台に立たされる。その構図が逆説的に、新菜のなかの所有欲や独占欲、そして創作物が評価されることへの葛藤を浮き彫りにした。
「創作とは手放すこと」と言われるが、新菜にとってはあまりにも過酷な体験だった。彼は海夢を通して、自分の理想としたハニエル像を完璧に再現できた。だがその完璧さゆえに、彼女は“自分の手を離れて輝く存在”になってしまったのだ。その結果、新菜は「作ったものが評価される喜び」と同時に、「作ったものを手放す苦しみ」に直面する。
この嫉妬と苦しみは、新菜が単なる衣装職人ではなく、魂を込めて“何かを創る者”である証でもある。つまりこのエピソードは、彼が「美しく作る」ことに満足する段階から、「創作を通して何を伝えるのか」と向き合う創作者の段階へと進んだことを示している。そしてこの内面の変化は、次第に海夢との関係性にも波紋を広げていくことになる──愛するからこそ、美しさを共有したくないという、矛盾した想いとともに。
- 「誰かのため」から「自分のため」へ転換
- 作品の自立が生む喪失感
- 創作者の宿命としての嫉妬
動機が「作りたい」へ変わった瞬間
新菜が「ハニエル」の衣装製作に取り組む動機は、当初は一貫して「海夢のため」だった。彼女の理想を叶えたい、喜ぶ顔が見たいという献身的な想いが原動力となり、技術と時間を惜しまず注ぎ込んできた。しかし、海夢の演技が完成された“美の象徴”として世に放たれた瞬間、新菜の内面で微細な変化が生まれる。それは、自分の想像をかたちにすることへの渇望──「誰かのため」から「自分のため」にすり替わる、創作欲の芽生えだった。
この転換点は、創作者としての自我の目覚めを意味する。新菜は、それまで自分を裏方に徹する存在だと定義づけていたが、ハニエルという造形美が注目されるにつれ、「自分が作りたいから作る」という能動的な欲求に突き動かされていく。その心境の変化は、ごく自然でありながらも、彼にとっては驚きと戸惑いを含んだものだった。
作品が評価される喜びとともに、それが“誰かのもの”になる喪失感──この矛盾を飲み込んだうえで、それでもなお「作りたい」と思えたことこそ、新菜が本当の意味で“表現者”へと歩み出すきっかけとなったのである。
「自分の手から離れていく」という痛み
新菜がハニエルとしての海夢を見た瞬間、胸に刺さったのは“創作が完成した喜び”ではなく、“その作品が自分の元を去っていく”という痛みだった。観客の視線を集め、称賛を浴びる海夢は、まるで新菜の手から羽ばたいていく存在のようだった。自らが細部にまでこだわって作り上げた衣装と演技が、作者の意図を超えて一人歩きを始めたような感覚──それは、誇らしさと同時に喪失感をもたらした。
この痛みの本質は、「手放すことへの恐れ」だ。誰かのために創ったはずの衣装が、誰かの感動や賞賛に包まれることで“自分のものではなくなる”感覚。創作とは本来、人に見せることで完成される営みだが、新菜にとってはその共有こそが、関係の輪郭を曖昧にしてしまう危険でもあった。
さらに言えば、その瞬間に海夢が“自分の理想を超えた存在”に見えてしまったこと自体が、新菜の孤独を決定づけていた。愛情と創作が交錯するこの関係性において、自分だけが立ち止まり、彼女が先へ進んでしまったように感じたこと。それが、「自分の手から離れていく」という言葉に象徴される痛みの正体だった。
読者レビューが映す冬コミ(ハニエル)編の衝撃
海夢のハニエルは、これまでのコスプレと比べ物にならない集中力。読みながら圧倒された。
「可哀そうに」という一言が胸に刺さった。無感情な微笑みに、関係の歪みまで映し出されていた。
冬コミで二人の覚悟がようやく噛み合ったと感じた。転換点として忘れられない回。
創作は衣装だけで終わらないと突きつけられる回。新菜が海夢に頭を下げる場面が深く響いた。
密度は高いのに体感が短く、もう少し余韻が欲しかった。
すれ違いがもたらした関係の変化
海夢の“完璧な演技”によって、二人の距離は皮肉にも広がっていった。ハニエルというキャラの完成により、新菜は達成感よりも喪失感を覚え、海夢は新菜の称賛を得たにもかかわらず、どこか物足りなさを感じていた。この微妙なすれ違いが、ふたりの関係に静かな亀裂を生み出し始める。
新菜は、自分が作ったものが世に出て評価されることで、“海夢が自分から離れていく”という感覚にとらわれていた。一方の海夢は、新菜に「可愛い」と言われたい一心で演技に没入したのに、その瞬間、彼の目がまるで「作品」を見るような距離感を帯びていたことに、言いようのない寂しさを抱く。お互いを思う気持ちは変わらないのに、目指す地点のわずかなズレが心を遠ざけていく。
さらに、海夢にとって新菜の存在は、ただの衣装職人ではなく、自分の“好き”を全力で受け止めてくれる唯一の相手だった。その彼が突然遠くを見ているような表情をしたことは、海夢にとって想像以上に衝撃だったはずだ。新菜の無意識の変化が、彼女に「自分は置いていかれるのでは」という不安を芽生えさせていく。
このすれ違いは、激しい言葉の応酬や感情の爆発にはつながらない。それでも、互いが互いを見つめ続けてきた軸が、少しだけ傾いたことで、見える風景が変わってしまった。ここから二人の関係性は、表面上は変わらぬまま、内面では繊細な再構築を迫られていくことになる。愛があるがゆえの誤解と、創作を共有することの難しさ。それが、この静かな転機の本質だった。
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